挑戦の軌跡 小林 愛子

『銀杏 No.36』(2012年発行)より

◆わたしについて

 物心ついた頃から今日の62歳まで、私は好きなことだけを自由にやって来たような気がする。そして今、テキスタイルアーティスト(織物作家)とグアテマラツアーの企画という二つの仕事を持っている。
 両方とも仕事だと私は思っているが、あまりに楽しんでいるので周りの人は誰も私がまじめに仕事をしているとは思っていない。それが残念と言えば残念なのだが。
 家にこもって織っていることと、グアテマラに人を連れて行くという、それぞれ違う緊張感は、共に刺激しあい私の生活に良いバランスとなっているようだ。
 家で織っている時は、私自身の中で内側に奥深く開放感が自由に広がっていく。グアテマラにいるときは、外側にエネルギーが向かって行く。私にとって両方とも大事だ。

◆子供時代、高校時代の思い出

 私は3人姉妹の末っ子としてクリスチャンホームに育った。反抗期が長く、私は姉達より遅い24歳で洗礼を受けた。
 父は小児科医で、立ち上げた障害児のための施設が京王線沿線にあったため、豊島区から調布市柴崎に引っ越して来たのは私が小学6年の時だった。たった2学期間の上の原小学校、神代中学、そして神代高校と進んだ。
 小学校では、ほとんど先生の言うことは耳に入らない子供だった。これは私が3月26日生まれのせいだと長いこと思っていたけれど、ただの学校嫌いだったのかも知れない。小学校では私のところから列が曲がるということでよく先生に怒られた。<こうやってはいけませんよ>という例として提出したものを掲げられ傷ついた。なぜ怒られたかという理由がいつもわからなかった分、記憶が鮮明に残り、今でも話のネタになっているので結局は得したと思っている。
 神代高校に入ってうれしかったのは近距離ながらも電車通学だったこと。車窓から見える四季折々の姿はたった2駅でも充分楽しめた。大好きな桜の花、黄色の菜の花や紫の花大根、こんもりとした木々の緑、牧場の牛もいたりで何とものどかな風景だった。
 他の高校に行ったことがないので比較のしようがないけれど、神高はなかなか個性的な先生の集まりだったようだ。担任の地学の羽鳥先生、着物姿の英語の桂先生、声が大きい名物数学教師寺井先生、英文法の竹中先生(誰も正解がなくて怒って授業放棄して帰られたことがあった。でも原罪という言葉を初めて英語で習ったことは今でも忘れられない)。漢文のおばあちゃん先生の千原先生、美術クラブの妹尾先生、授業中、わたしが豪快に机に突っ伏して昼寝をしてしまった時に肩をたたかれこう言われた。<きみきみ、そんなに真剣に考えなくてもいいんだよ>これは物理の山崎先生だった。学校嫌いの私が何とか通えたのは、その時にはわからなかったけれど、この個性的な先生のおかげだったのだろうか。

◆織物との出会い

 私が油絵科の女子美大生だったころ、友人と2人で夏休みにヨーロッパ貧乏旅行をしたことがある。コペンハーゲンの博物館で出会った1枚のインカの古い布との出会いが、私の方向を全く変えてしまった。


●椅子の上に乗って織る-「ハレルヤコーラス」
たて糸を張った木枠を壁に立てかけ、下からよこ糸を積み 重ねてゆく。ここまで来れば完成は近い。

 ガラスケースに入った端切れのようなぼろぼろの布には、狩のダンスとも見える男たちの姿が織られ、動きはユーモラスで生き生きと自由でまるで子供の絵のようだった。織といえば着物や帯、緞帳そしてゴブラン織りなど工芸としてしか捉えてなかった私にはこんな世界もあったのだと驚きだった。この男たちの楽しげな様子は今でも私の織りの原点となっている。
 その頃、私は描きかけの絵を引っ張り出しては描き加えたり、どこで筆を止めていいかわからないような終わりのない絵の世界から抜け出せずにもがいていた。その縛りから解放されたかのように織りの世界に入っていったのである。
 大きな木枠にたて糸を張り、天井までとどくように壁に立てかけ、下からよこ糸を積み重ねて織り上げていく。よこ糸1本1本を右から左に、左から右に交互に入れる動作は時には大きく幅広く、時には細かくと繰り返しの作業だ。そして夢中になればなるほど私の心は安らかになっていく。まるで大地から植物や樹木が空に向かって成長する様な豊かな気持になれるのだ。枝がどのように伸びていくかわからないように私の絵柄も下絵なしに自由に織り込まれていく。織りたい物がどんどん心の中に飛び込んでくるかのように沸いてくる。そのわくわく感も大好きだ。
 キャンバスに描く絵と違うのは、たて糸が終わった所で、その作品に満足がいこうがいくまいが<完了>となることだ。それはまるでスポーツのゲーム終了の笛のように。 ほとんどの場合全体の下絵を描かない。下絵どおりに織ると早く織れるし迷いがないが、どうしても生き生きとした動き、躍動感、空気や風の流れが伝わらない気がするのだ。糸を絵の具にして絵を描くように織り続けている。
 使っている道具はただの木枠である。今持っているものは北カリフォルニアに引っ越してから夫のデニスが廃材で作ってくれた天井スレスレまで届くような巨大な木枠。それに糸を張るために自分で上下にナイフで溝をつけ、糸を引っ掛ける釘を溝の内側に適当に打ち込んだ簡単なものだ。
 下から上へと織り進んでいくたびに、私の位置は、クッションに座っていた姿勢から椅子になり、さらに椅子の上に立ち上がることになる。織るタピストリのテーマと色合い、サイズなどは最初に決める。たて糸の素材はしっかりした綿や麻を使い、よこ糸は自分で染めたもの(ウールや綿、麻など)や手紡ぎの糸ばかりでなく、ひも状、繊維状のものであれば何でも使う。自分でこの色を出したいというときには、そのためだけに染めて出すのではなく、違う色の糸を混ぜて絵の具のように使っている。赤と言っても、オレンジ系、朱色系、パープル系、ピンク系など色相、強さ、明るさも違う他の細い糸と合わせることによって、様々な自分の好きな色を作ることができる。私にとって色彩が一番大事なので、自分で染めようが染めまいがそれには全くこだわらない。


◆タピストリのテーマ

「陽が射す森」

 タピストリのテーマはそのときそのときで変わるが、スペイン、グアテマラ、そして北カリフォルニアと住んでいる所が変わるたびに空気のにおいも風も変わるから私の絵日記は変化していく。旅の思い出だったり、娘の成長記録であったり、あるいはささいな日常生活の中から生まれることも多い。
 娘のマリが小さかった時には、<あの動物を入れて、この動物を入れて>とせがまれたり、娘の絵を織り込んだりもしたものだ。日本で生活していたときに、小学校3年で不登校になった娘は、いつも家で私が織っているかたわらにいた。うっとうしいなと思いつつ、その時に織っていたのが、中心の大きな樹に登っている子供たちのタピストリだった。娘は木登りが大好きだったから、又、元気にお猿さんみたいになると良いなと思って織っていた。そんなある日、彼女が突然こう言ったのだ。<ママ、この題は「陽が射す森」にするといいよ>と。
 それを聞いたとき私の心の中にサーッと陽が射したのだ。まるで私が陽の射さない深い森の中にいたかのように。
 こんな娘も25歳。今はガラパゴス諸島の小学校で英語の先生をしている。しかもブラジル人のボーイフレンドと学生結婚し、23歳で離婚。この思いっきりの良さは、まるで彼女は一度も深い森の中にさまよったことが無かったかのようだ。

「チューへのバースデーカード」

 一番最近の作品。昼寝をしている老犬チュー、満開のサクラの木々、スキューバーダイビングの好きな娘マリが海の中を魚と一緒に泳いでいるところなどを織り込んだ。
 我が家の愛犬チューは2月に16歳になった。出会いは、マリが小学校3年になる直前に家族で行った深大寺のペットの里親募集の日。子猫や成犬の中に一匹だけ生後50日の子犬がいた。柴と秋田、洋犬の雑種だった。マリにうちでは飼えないと何度言っても、その子犬を抱きしめたまま4時間離さない。デニスがついに言った。<Let’s go home.>この一言で彼女はきつく子犬を抱きしめ直した。しかし<with puppy(子犬と一緒に)>と後に続いたこの言葉にマリの顔はぽかんと信じられない表情だった。このことは彼女のこちらでの中学校の作文「人生で一番うれしかったこと」に書かれ、デニスはそれを読んで涙目になっていた。
 満開のサクラの木の下でチューとマリがボール遊びをしていた光景は今でも目に焼きついている。花びらが舞う中、少女と子犬とボールがピンク一色に染まっていた。


◆グアテマラとの出会い

「色と笑顔に魅せられて」

 一冊の写真集に載っていたグアテマラ。見開きのページに抜けるような青い空の下、色彩豊かな手織りの民族衣装を着てずらりと並んでいる先住民女性たちのはじけるような笑い顔。グアテマラがどこにあるのかも知らない私だったがその色と笑顔に魅せられすぐ旅の計画を立てた。
 初めて訪れたのは1985年の夏だった。それ以来奥の深いその国とはいまだにご縁が続いている。そこで知り合ったアメリカ人フォトジャーナリストと結婚し、マリが生まれたのが87年だった。彼女はグアテマラ国籍もいまだに維持している。
 私がグアテマラに住んだのは、2年半位であったが、年に2、3回と自分が行きたいがためにグアテマラテキスタイルツアーを企画しては家族同様にお付き合いしている友人たちに会えることを楽しみにしている。


●椅子の上に乗って織る-「ハレルヤコーラス」
サンティアゴアティトラン村で簡単なこまで綿花を紡いでいる。

 民族ごとというよりは村ごとに特徴のある民族衣装も、内戦が終わり生活スタイルが変わってきたことでだんだんと織る人も着る人もここ数年急激に少なくなってきた。材質も綿より乾きが早く色もあせないアクリルや化学繊維を使う人も多くなり、柄も従来の小さくてシンプルなものから大きく派手になっていく傾向もあり変化は著しい。彼女たちは簡単な道具、棒だけの原始機で複雑な柄を出していくがその色のセンスはすばらしい。
 私も一度は縫取り織り(刺繍に見える織りの技法)に挑戦したが、びっちりと並んでいる細いたて糸の数を数えながら規則正しく織っていく、マヤ伝来の幾何学模様には2週間で<限界>が来てしまいもっぱら今は買い手に回っている。数にたけているマヤの末裔の人々ならではの能力だとただ感心するのみである。高原の夏の気候、豊かな自然、文化、20以上の言語に分かれる先住民族、民族衣装と飽きることの無いこの国に安心して行ける治安の良さを私は願うけれど、それがかなう頃にはすっかり民族衣装とは縁の無い国となってしまうのかもしれない。


●サンアントーニオアグアスカリエンテス村で
複雑な模様を巧みに織り込んでゆくリディア

◆グアテマラツア-「私の語学力」

 アメリカ人と結婚しながらも夫婦の会話は長いことスペイン語が中心だった。わたしの住みたくない国ランキング1位米国を理由に全く英語とは縁のない生活をしていたのだ。それが娘の不登校をきっかけに北カリフォルニアに住むことになった。「桂先生ごめんなさい。米国に住んで14年の英語の実力はひどいものです。」娘に<silver>を何度も発音させられ最後に言われた。<コリャだめだ>と。
 スペイン語の理解力も好きなことしか訳せなくなった。20歳代からスペインが好きでアパートを借りて行ったり来たりしていたのは遠い過去。興味のないことは見事に聞く耳がなくなるのだ。しかも英語に切り替えたために、どれもこれも中途半端になってしまったようだ。
 面白いのは、こんな私にほれ込んでグアテマラツアーに何度でも一緒に参加するアメリカ人たちがいるということだ。ブロークンイングリッシュで口げんかをしても相手が謝って来るのだから。もちろんこれで縁が切れる場合もあるのだが、それと私が英語で流暢に説明できない所がうるさくなくていいそうだ。
 グアテマラツアーで気を使うことは、おなかを壊さない食事、飲み物。村の雰囲気を察知して危なそうなら即立ち去ること。強盗に遭わないことを祈っていることなどなど。
 楽しいことは大好きな織物をたくさん見つけられること。村の市で美しい民族衣装を着ている人に話しかけては家まで押しかけ素敵な織物を見せてもらう。そしてお客さんと争って私も手に入れる醍醐味。たくさんの巡り会わせに満ちている旅だ。

◆神代高校のみなさんへ

 私は美大こそ卒業したけれど、履歴書に書けることは何一つない。中学校の美術教員免許を取ったけれど、教育実習で挫折。学校嫌いな生徒が学校で教師になれるわけがなかった。夫デニスがフォトジャーナリストから高校のスペイン語教師に転職した時、私は長いこと彼が我慢しているのではないかと思っていた。でもそうではなかった。結構気に入って楽しんで教師をしている。
 私がいつも自由にあこがれ、それを大事にして生きてこられたのは、織ることのプロセス、旅の計画のプロセス、人との出会いのプロセスなど、そんなプロセスが好きで好きでたまらないからなのだろう。そんな中での発見は私の財産として積み重なっている。その中で一番はもちろん人との巡り合いである。
 この秋に日本に行くときには福島の仮設住宅に住む大人、子供のための織物クラスをしようと計画中。棒だけのグアテマラスタイルの道具でなるべく太くて綺麗な糸を使ってマフラーを一日で織り上げられるようにするクラス。この織るプロセスを参加してくださる皆さんに楽しんでもらいたい。そして私もこの準備のプロセスを大いに楽しみたいと思っている。
 好きな事を見つけるのは人によっては大変なことかもしれないが、探し続けることも大事なことだと思う。探すプロセスも丁寧に楽しめる人生はなかなか捨てたものではないだろう。
 私は高校時代のことは記憶喪失になったかのようにあまり覚えていないが、面白いことを思い出した。大学を卒業してすぐの1972年、スペインに住むために語学校の受付のバイトをしていた時、そこで高校時代の友人と偶然再会。
 一緒に彼女の車で柴崎に帰ることになった。しかし途中の甲州街道でタクシーに追突され、そのまま2人で数ヶ月入院となった。でも私はその慰謝料でスペインに住むことができた。初めてグアテマラに行った1985年、別の高校時代の友人とメキシコ、グアテマラと旅し、彼女はグアテマラで病気になって入院。そのおかげで今の夫と知り合えたのかも。そしてグアテマラ住まいから日本に住むきっかけは、ある事件に巻き込まれ乳児であったマリを抱えて逃げ出す しかなかったこと。北カリフォルニアに来たのは娘の不登校が原因など、事件好きの私にはぴったりの人生なのかもと思っている。
 だから私の高校時代は、まさかこんな事件が訪れる予感など全くない、能天気な時代だったのかもしれない。


●サンアントーニオアグアスカリエンテス村で
複雑な模様を巧みに織り込んでゆくリディア

小林 愛子(こばやし あいこ)さん 高20回 プロフィール

テキスタイルアーティスト
女子美術大学洋画科卒。
テキスタイルアーティストとして活躍する一方グアテマラの民族衣装の収集家として『暮らしの手帖』等への執筆を行う。
1995年以来、年2回のグアテマラツアーを実施し来年も2月と4月に予定している。
下のポートレートで着ているのがグアテマラの民族衣装である。

Aiko Kobayashi Fiber Art & 'Textile Tours' to Guatemala


●Alta Bates Art Gallery,Barkeley(2012.2)

2012年12月8日投稿